Regina



 石綿付金網が、白く焼けついている。金網との境目は銅色に染まる。
 アルコールランプからの炎に熱され、三脚で支えられたビーカーから、ほどなく気泡が上がる。最初は小さくゆっくりと、そのうち、大きな粒が絶え間なくだ。
 部屋にはいくつもアルコールランプがかかっており、ゆえにここは真冬でも、火鉢一つ必要ない。
 見るものが見れば直ぐに判る。人形師の仕事場だ。
 人形はただ女の子が着せ替えをし、一方的に語りかけ想像力を膨らませ、愛情表現を学ぶ基になる人形ではない。
 特別な生き人形だ。観用人形(プランツドール)、もしくはプランツと。
 沸き立つ水面に、すり鉢であたり、パラフィン紙に移した漢方を、さらさらと流し入れる。粉は丸く広がる。底から匙で掻き混ぜ、均等に。暫く煮続けると、水は薄い飴色になる。できた薬湯を人肌にさめたところで、人形に与える。こうしてやると吸収がよく、肌や髪の艶が良くなるのだ。
 新しい試験管の底に沸騰石を沈める。別のアルコールランプで、遠火で振りながら加熱する。
 苦い材料で育てると、甘味を殊更喜ぶ舌が調整される。あたためたミルクだけで生きていく人形。砂糖菓子を心待ちにし、笑みを見せる。
 樽ほどの大きさの、丸いガラス鉢には、小児の形をした物体が浮かんでいる。膝を胸に近づけ、目を閉じ、時折回転している。腕は膝を抱えず左右に伸ばされたままなのが、人間の胎児と異なる。両肩に被さる長さの髪は多く豊かで、漆黒だ。もうすぐ、昼間は水から上げ、空気に慣らし、仕上げる段階に入る。樽の名前は、便宜上、鉢、と呼ばれている。鉢は人形を育てる苗床だ。個性の要になると
 障子に影が映った。柳蓮二は、顔を上げた。指先を固定し見つめる。
 縁取りは淡くやわらかい。深い夕暮れだけが支えている。
 影は言った。
「入ってええ?」
 もちろん柳には判るが。
「…足半分だけなら。いま、たて込んでいるから」
 柳は作業を再開する。障子が半分開いて、顔と肩を覗かせたのは、作り物のような銀髪を持つ男だった。柳が育成した、どの鉢にもない色だ。まあ、髪の色としては落ち着かないし、服などを選んでしまうから、人形には向いていないがと柳は思う。金なら淡くてもよい。しかし銀はつまり、半端な黒を示す。服装などがかなり制限される。何んでも人形に例えてしまうのは、職業柄だと思う。
 瞳と髪の色は、観用人形にとっては、重要な構成(くみあわせ)だ。この大きな二つの外的特長で、内面の基本性質を、示すのがよいとされる。言うなれば外面が保証する。意外性を求めて人形を購入する者など、なきに等しい。金髪で巻いていれば快活、黒髪は冷ややかだが芸に秀でる、茶髪はひたすらしとやかにと。無論、時代で流行りもあった。商売だから、職人はあわせて作る。一昔前は、金髪ばかりが好まれた。
 仁王雅治は友人である。鉱石工場で解体の仕事に就いている。体に悪い仕事だが、楽しんでいる様子だ。柳が沸騰させた試験管を試験管立てに収めるまで待っていた。
「人形屋ぁからの手紙ばい」
 柳は仁王に差し出された封筒を受け取った。白紙に、えんじ色の紙が挟まっていた。和紙なので薄く透ける。
 柳は一箇所だけ伸ばした親指の爪で、封蝋の上を破いた。左右に眼を滑らせ、目を通す。開いたのと同じ早さで、紙をたたみ直した。まるで、巻き戻しだ。
「注意、だな」
 その色に柳は、鶴のごとき首を傾げる。膝でにじったので、衣がずれる音がした。
「希望ってとこやろね」
 仁王は笑う。柳の手から手紙を奪う。はらりと落ちる白紙。紙を広げて読みあげる。
「あー、こないだ納品したやつは売れたとよ。はやかとねえ。けど、先の一品は返品されてしもうたて。ええ案配だこと」
 柳が見ない間に続ける。
「そんで、条件其のいち、あんたの人形はご主人を選ぶ眼ぇが厳しすぎる。其のにぃ、ちったあご主人ん他にも愛想ふれる人形をつくれ。其のさん、値段、もう少し下らんか」
 彼の言葉だが、きっと店側の、漢字が多く堅苦しい、煙に巻くいつもの文体なのだろう。あの店員は、全く食えない。柳はにべもなく言い返す。
「仕事の方針は変えられない。俺は育てるだけだ。どんな主人を選ぶかはもう、俺が左右することじゃない。そこそこ程度のものを作れる制作者なら幾らでもいるだろう」
 人形は法外な値で取引される。売値に対し、しかも下取り価格は雀の涙なのだ。旨味が多いのだから、苦情は店の人間で処理して貰わねば困る。
「見た目だけでもえらく欲しぅなるからの。お前のんは」
「だいたい、最近の客は無粋でならない。目覚めてもいないのに金を積んで強引に持ち去った挙げ句、怒って返品したり、最初から制作者に特注しようなどと言い出したり」
 柳は手紙を封筒ごと、四つ折りにし、火鉢に放り込む。封蝋の熔ける匂いが立ち上る。
「思い通りにはいかんやろなあ」
「…」
「トラブルメーカーやもん、蓮二の人形は」
 仁王は暗に笑う。そんな風に笑うと、狐そっくりだと柳はいつも思う。狐は、いとも容易く、ひとを化かす。仁王は仕事以外は、遊びでしか動かない。役立つ能力はあるはずなのに、行わないのだ。しかも、悪びれない。
「トラブルと言われてもな」
 柳蓮二は、その若さでありながら、祖父の代を継ぎ、高い評価の人形を作り出している名工である。
 店の人間が、彼の制作した人形を、そう呼ばわり高い金をふんだくっているのだから、間違いにはなるまい。評判とやらは、後でついてきてもいい。
 外見の麗しさは折り紙付きで、髪も肌も眼の色の配色共に問題なく、なんとも言えぬ艶があり、利発で物覚えも良い。
 ただ一つ欠点があるとするならば、否、長点とも言えるかもしれない。彼の作る「人形」は、主人以外の、誰も何者も受け入れない。懐いたりしない。心の片隅にも入れない。ともすれば、愛玩に留まらずのめり込ませる魅力がある。魅力は、誰彼構わず向く。
「俺が毒をしかけたように言うな」
 聞こえが悪いと、誰に聞かれるでもないのに言った。
 仁王が愉快がるのは知っている。しかし、他に出しようがない。
「へえ。毒、やろ?」
 仁王はますます楽しげだ。笑顔が咲く。悪い兆候だ。回避する必要があると、柳は思った。
「無粋な。人形は愛して楽しむ、それだけのものではないか。番犬を飼うのとは違う。あっちは役に立つが、こちらはぜんぜんだ。少し工夫のいる遊びにすぎない」
「柳よ」
 仁王は柳をあからさまに眺める。
「人形作って生きとんやつの言うことけえ」
 そう、言われてもだ。柳は変わらない。自分を変えられない。
「俺は人形を作るのが好きなわけではない。…得意なだけだ。たまたま、祖父が人形師で、字の他はこれしか仕込まれなかった」
 しかし流石に目を泳がせ逸らす。
「兎に角、道具でも玩具でも、扱い切れぬ、身の丈に合わぬものなど持たなくてもいい」
 柳は相手の胸を肘で押す。夜勤が終わると眠り床を探してよくここにふらりと来て、惰眠をむさぼっていくだけだというのにこいつは。
「柳よ」
 仁王は腕を中に伸ばした。筆を取るのに近付いてきていた、柳の小さな顎を取った。足は一歩も入っていない。くろぐろと夜に光る縁側に素足がひたりと吸いつく。
「ここんとこ、お前さんが造る人形は、どんどん、独占欲が濃くなっとる。なんかたまっとるみたいや。そいから」
「…………何だ」
 顎を捕まれたまま柳は言う。仁王はわざと勿体ぶる。こういう間が、柳は嫌いだ。喋るなら喋る、黙るなら黙っているほうがいい。
「綺麗やなあ。本当に。こないだ仕上がったのなんて、俺が、欲しうなった」
「珍しいな。普段は嫌うお前が」
「あの髪や」
「アメ色だ。どちらかと言えば青いな」
 
「目ぇなんて紫紺やったんもん。ええなあ。のぞきこみたくなるわ」
 賞賛は満更でもないらしく、柳は微笑む。目元の紅が美しい。
「柳よ」
「ん?」
 仁王の顔が、すぐそばにあった。
 甘い息が、かかる。
「なあ誰かに、狂うほど欲しがられたいん?」
「いいや」
 誰に言っているのだ。柳はそう言おうとしたが、やめた。
 これ以上……過ちを、正しさも、口にしたくない。ひそかにいじめられた柳は、それでも呟くように付け足す。
「…誰にも」
 柳は頭を軽く降ることで、仁王の手から放れる。髪が三日月の軌跡を作る。
「愚考だな」
 柳は、口元だけで笑いすらして、遅い動作で身を引いた。
「それにしても。以前はまだ、雅やかであった世なのだが」
 柳はほうと、溜息を吐く。
「…」
 柳は仁王の後ろを、見た。
 そこは庭に面している。しかし隙間だ。何も見えない。おまけに春先の日は、いつのまにやら暮れている。しかし柳は言った。
「帰ってきた」
 声の色が、変わる。
「迎えねばな」
 畳に手をつき、すっと立ち上がる。流れる仕種で、火の始末を始めた。ガラスの蓋を被せ、薬草にガーゼを被せる。
 蜻蛉の金細工が施されたランプが作業台に乗っている。柳はそれを手に持ち、立ち上がる。四隅の明かりを落とす。
 仁王に、入るなよと口を刺す。後ろ手で障子を閉める。
 足袋に包まれた足元は大股で歩く。
 ひとたび男が帰れば、どんな段階にあった仕事も、放り出して、行ってしまう。それから朝方に男を見送るまで、工房に足を踏み入れもしない。
 よくあれで「逸品」が、生み出せる。しかしこだわらないのも秘訣かもしれない。結果とは、理論や定義を作る。世に出回るいろは(いろは、に傍点)は、積み重ねに過ぎない。
「なあ、ここんとこ、真田の帰り遅いと思わん?」
 仁王は声だけで柳を追いかける。
「どうしてやろねぇ」
 柳は足を止めた。灯りが揺れ、柳の顔が四割見えた。残りは影が隠している。
「うるさい」
 光は再び背中の向こうへ行く。去る。
 距離を取れば聞こえなくなる声だ。柳は廊下を曲がる。明かりは甘い丸を板張りに落とす。この家は、廊下に明かりを灯し続けないから、出迎えは、いるのだ。



 さてもさても、おかしな話でございます。







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